ローダンシリーズ原作著者一覧ページです。
本国ドイツでは西暦1961年にヘフト形式と呼ばれる大衆向け小冊子の形で週刊の読み物として始まり、2023年時点でもまだ発刊中の長大SF小説となってます。
プロット作家が大まかなストーリーを提案し、各執筆作家がリレー形式で物語を進めていくため読み口が新鮮で飽きのこない工夫がされてるのが特徴です。
日本でも翻訳初期は松谷氏が1人で進めていましたが松谷氏から受け継いだ各翻訳者さんたちの協力のもと、2024年現在では毎月2冊(話数にして4話分)発行のペースで落ち着いています。
各著者の近影と詳細情報は本国ドイツのペリーローダン公式サイトが詳しいのでこちらも要チェックです。
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原作著者一覧
日本語著者名 | ドイツ語表記著者名 | 初回著作巻数 | 詳細 |
K・H・シェール | Karl Herbert Scheer | 1 | 1928年6月19日ヘッセン州南部のハルハイム生まれ 1944年工業高校在学中海軍に招集 Uボート機関員訓練生として終戦を迎える ジャズバンドのミュージシャンとして生計を立てながら最初のSF小説(Stern A Funkt Hilfe)を書く ドイツ初のSFファン協会発足に携わる。 ローダンシリーズでは小説の技術的な装備にこだわる 宇宙船のエンジンは可能な限り正確に説明され、技術的に可能な限り明確で分かりやすい性能データを計算することに多大なエネルギーを注いでいた 初代ペリー・ローダンプロット作家 |
クラーク・ダールトン | Clark Darlton | 1 | 本名Walter Ernsting ドイツ中西部コブレンツ生まれ 戦時中はドイツ国防軍に徴兵されるも捕虜となり病気で衰弱のため1950年に帰還 翻訳業だけでは物足りなくなり、最初の小説を原題「We Against the Future」タイトル「夜空のUFO」として出版 この小説はクラーク・ダールトン著、自分が翻訳者として出版 アメリカのSF文学賞ヒューゴー賞のドイツ語版である「ドイツ・ヒューゴー賞」を受賞 時間の本質についてがテーマ シェールと共にペリー・ローダン・シリーズの生みの親でもある グッキーなど人気キャラクターを多数生み出す 「大執政官ダールトン」と呼ばれる 晩年はアイルランドに移住し、グッキーが主役の小説を書く |
クルト・マール | Kurt Mahr | 3 | 本名 Klaus Otto Mahn 1934年ドイツフランクフルト生まれ 高校卒業後土木工学を学ぶも経済的理由で断念、後に執筆料と車掌の仕事で稼ぎ工科大学にて物理学を学ぶ アメリカに移住後、コンピューターエンジニアとして働く ウィリアム・フォルツ亡き後未亡人と結婚 フォルツの後、ヴェルチェクと共同でトーマス・ジーグラー辞任後のプロット作家を手がける ストーリーテリングの巧みさと乾いたユーモアのセンスとともに濃密な登場人物の描写で人気な作家 |
W・W・ショルス | W.W. Shols | 3 | 本名 Winfried Scholz 第二次世界大戦中、ショルツは海軍にて従軍するも捕虜となる 終戦後は印刷業界や広告業界で活躍 印刷会社での経験から日本の住所録に触れ、初期の日本人名リストに関わる ローダンシリーズ執筆チーム設立に深く関わるも多忙のため同シリーズの執筆は数冊に止まる W. ブラウンのペンネームでも出版。1962年に作家業を引退 55歳で早世する |
クルト・ブラント | Kurt Brand | 17 | イタリアのカルターン生まれ ソ連の捕虜となり戦後、ドイツライン川沿いの都市ケルンに当時最大の民間貸付図書館を建てる 最初の小説は「サハラの塔」 1962年から1965年まで『ペリー・ローダン』シリーズの脚本を書いたが、意見の相違により降板 |
ウィリアム・フォルツ | William Voltz | 37 | 本名 Wilhelm “Willi” Karl Voltz 1938年1月28日 オッフェンバッハ・アム・マイン生まれ 1958年に作家デビュー シェールの後を継いで2代目ペリー・ローダンプロット作家 本国ドイツヘフト版の読者連絡ページLSKの初代編集者 2004年からSF短編小説のためウィリアム・フォルツ賞が設けられる |
H・G・エーヴェルス | H. G. Ewers | 99 | 本名 Horst Gehrmann 1930年旧東ドイツのヴァイセンファルス・アン・デア・ザーレ生まれ 自動車ディーラーの後、医学を学ぶも未終了、高校教師で生計をたてる 1961年ベルリンの壁建設直前に西ドイツに亡命 1996年長年の夢であった医療技術を学び世界中を旅して仏教に改宗 2003年にはNASAの火星シュミレーションセンターにて研修をつみアマチュア宇宙飛行士になる |
C・シェパード | Conrad Shepherd | 153 | 本名 Konrad Schaef 10代のころドイツで幻想文学ファン雑誌を発行 第二次世界大戦後、機械工学を学びアメリカ軍に勤務 ハンス・クナイフェルの紹介でローダンシリーズに関わる |
ハンス・クナイフェル | Hans Kneifel | 176 | 本名 Johannes Kneifel 菓子職人からSF作家に転身 のちに職業学校の教師も務める |
エルンスト・ヴルチェク | Ernst Vlcek | 255 | 1941年1月9日、 ウィーン生まれオーストリア人 幼い頃からSFに熱中し、学校卒業後、商業実習を終え肉体労働の仕事を転々とし、謄写版機や事務機のセールスマンとして生計を立てながら小説を書く ローダンシリーズとアトランシリーズで執筆 クルト・マールからプロット作家を任される |
H・G・フランシス | H. G. Francis | 259 | 本名 Hans Gerhard Franciskowsky ドイツ シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の都市イツェホー生まれ 1971年よりローダン執筆作家として参加 |
ハーヴェイ・パットン | Harvey Patton | 374 | 本名Harvey Patton 1923年6月24日ドイツのブレスラウ生まれ 1941年に東部戦線に配備され捕虜となる 連邦鉄道の労働者、食堂車のウェイター、繊維加工産業など様々な職業を経験 |
ペーター・テリド | Peter Terrid | 388 | 本名Wolfpeter Ritter 1949 年1月15日 、ドイツユルディンゲン生まれ 教師を目指して英語、歴史、社会学、政治学を学んだのち、小説家デビュー 1998年12月、49才の若さで心不全により亡くなる |
マリアンネ・シドウ | Marianne Sydow | 398 | 1944年7月24日、ドイツのアルトデーベルン生まれ 旧姓ビショフ、シドーと離婚、1980 年以降再婚しマリアンヌ・エーリッグとして知られる 幼い頃から本に興味をもち、母親に精神病を疑われて受診するも理解ある医師によって好きなことをするように言われる ペリーローダンシリーズ初の女性作家 アトランシリーズを担当語、ローダンシリーズに携わり人気作家となるも編集者との意見の対立でチームを離れる ヨーロッパ最大のユートピアとファンタジーの個人コレクション「ヴィラ・ギャラクティカ」を夫と共同制作、夫の死後、亡くなるまで息子と管理を続けた 本人のHPより自己紹介 |
ペーター・グリーゼ | Peter Griese | 482 | 1938年6月22日 ドイツのヘッセン州フランクフルト・アム・マイン生まれ 電子工学部門で電気工学の資格を取得 ドイツ連邦軍中佐1983年に退役し作家に集中する いち読者のころからローダンシリーズ編集部に手紙を送りプロットのアイデアを出していた、後に編集者となりそのアイデアを実現する 本編付録のペリーローダンレポートを担当、技術的背景の調整につとめる |
デトレフ・G・ヴィンター | Detlev G. Winter | 532 | 本名 Detlev Horn 1953年9月23日、ドイツのヘッセン州フランクフルト アム マイン生まれ 登記官の仕事をしながら編集部に手紙を送り、執筆活動を開始、アトランシリーズの後ローダンシリーズを執筆 |
ホルスト・ホフマン | 538 | 1950年3 月 21 日、 西ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州ベルクハイム生まれ 美術史、経済学を学ぶも作家、編集者として活躍 |
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トーマス・ツィーグラー | Thomas Ziegler | 562 | 本名Rainer Zubeil 1956年12月18日 ドイツニーダー ザクセン州コーナウ生まれ 作家、翻訳家、テレビ脚本家として活躍 ヴッパータール・バルメンにてペリーローダンクラブ設立に関わり編集部に手紙を送る エルンスト・ヴルチェクとともにプロット作家も手がける |
アルント・エルマー | Arndt Elmer | 578 | 本名Wolfgang Kehl 1954年2月26日 ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州レラハ生まれ 言語学を学ぶ アトランシリーズ執筆の後ローダンシリーズ、ローダンNEOシリーズも担当 ローダンシリーズ読者連絡ページLKSを長期に渡り担当 |
ロベルト・フェルトホフ | Robert Feldhoff | 664 | 1962年7月16日ドイツ、バーデン ヴュルテンベルク州ショルンドルフ生まれ 10代のころよりローダンシリーズに触れる 経済学を学びながら小説投稿を続け、すぐにローダン編集部に才能を認められ25才でローダンシリーズを執筆、学校を中退し作家になる エルンスト・ヴルチェクの後を継いでプロット作家になる ローダンシリーズの映画化やコンピューターゲームの脚本も手がける 1546話ロボットのボルダゴの生みの親 「北から来た偉大なる静かな人」と称される 2009年、47才の若さで重病で亡くなる |